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笠原十九司は詐欺腹得意に変名したほうがいい。
 http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000641207180001

 ■「南京大虐殺」否定の発言

 ――今年は南京事件(南京大虐殺)から75年。そもそも、なぜ南京で、だったのでしょう。

 事件は日中戦争の始まった1937年、旧日本軍が、上海から国民政府の首都・南京を攻略するなかで起きました。軍中央は当初、戦線を拡大しない方針でしたが、現地最高司令官の松井石根(いわ・ね)大将=東京裁判で死刑=らが「南京を制圧すれば中国は屈服する」と、独断で兵を進めたのです。

 ――無理な作戦だった。

 上海から南京までの距離は約300キロ。東京から名古屋の手前までぐらい。この間、後方から装備や食料の補給はなく、兵たちは略奪を繰り返した。そのなかで住民の殺害や強姦(ごう・かん)も横行しました。

 軍は南京を包囲し、37年12月10日の総攻撃開始から4日目に、中国の防衛軍を打ち破って占領した。しかし食料がないのですから、捕虜を収容できません。捕虜の人道的な扱いなどを取り決めたハーグ陸戦法規を無視し、既に戦闘を放棄した中国兵を次々と殺害しました。治安が回復するのは翌38年の3月。それまで一般市民を巻き込み、殺戮(さつ・りく)を繰り返しました。事件の背景には中国人への差別意識があり、日本兵のストレスのはけ口になったとみられます。

 ――河村たかし名古屋市長ら、事件の存在自体を否定する発言が繰り返されます。

 政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」との見解を出しており、学問的にはもちろん、政治的にも、すでに論争は決着していると思います。しかし最近は現職閣僚以外の国会議員や大学教授のほか、河村市長らのような自治体の首長が否定の発言をしている。

 従軍慰安婦の問題と同じく、否定論をふりまくことは被害者を二重に苦しめます。それが、どんなに国際的に恥ずかしく、日本の評価をおとしめているか。なぜ、そこに思いが至らないのか。南京事件は、人権の問題であり、日本の民主主義にかかわる問題なのです。

 ――社会も、事件への認識が薄いのでは。

 現場が国外であり、政府は当時、報道を制限し、国民に事件を知らしめないようした。ユダヤ人を大量殺害したドイツとは違い、戦後も事実の解明や責任追及をあいまいにした。このため国民の間に歴史認識が定着せず、論争が「どっちもどっち」といった泥仕合に思われてきたのです。それはそれで、否定派の思うツボです。

 学校教育でも、歴史が受験のための暗記教科になりがち。歴史は本来、過去に学ぶ学問です。国際化の時代だからこそ、戦争の悲惨さとともに、過去の加害責任という負の歴史を知ることは必須です。県内には幸い、甲府市に「山梨平和ミュージアム」があります。先生方には、こういった施設をぜひ活用してほしいと思います。

《キーワード》

 南京事件(南京大虐殺) 旧日本軍が1937年12月、中華民国国民政府の首都・南京を制圧するなか、多数の捕虜や市民らを殺害するなどした事件。犠牲者数について、中国側は「30万人」と主張。日本側では「4万〜20万人」とする研究者が多く、笠原名誉教授は「十数万〜20万人」とみる。それぞれ事件の対象区域や期間の定義が異なり、史料の数字も、どう評価するかで判断が分かれている。

《略歴》

 かさはら・とくし 都留文科大名誉教授(中国近現代史)。1944年、群馬県生まれ。東京教育大(現・筑波大)大学院修士課程中退。84年、恩師で教科書検定裁判の原告・家永三郎氏を支援するため、研究者やジャーナリストらと「南京事件調査研究会」をつくり、東京高裁の控訴審で証言した。著書に「南京事件」(岩波新書)など。

《取材を終えて》

   ◇反日の理由、冷静に

 「否定論者の主張の誤りとトリックを解説する、学問的には非生産的な『論争』は、早く卒業したいと思っている」。笠原さんは著書「南京事件論争史」(平凡社新書、2007年刊)で、こう述べている。

 ネット上では「売国奴」「自虐派」などと、ののしりの言葉を浴びてきた。南京事件について多数の著作を手がける一方で、学位論文に手が回らず、博士号の取得(学術博士、東京大学)は、ようやく3年前だった。それでも発言してきたのは、「加害の事実を確認することが、被害者と真の和解を果たせる道だ」との思いからだ。

 日中国交正常化40周年の昨今、中国では反日デモが起き、尖閣諸島の領有問題をめぐっては中国政府も強硬だ。しかし中国は隣国であり、経済面でもお互いに緊密な存在だ。私には親しい知人もいる。それだけに、歴史的な事実を含め「反日」の理由や自らの足元を冷静に見つめたいと、改めて思った。(岩城興)


 ――無理な作戦だった。

 上海から南京までの距離は約300キロ。東京から名古屋の手前までぐらい。この間、後方から装備や食料の補給はなく、兵たちは略奪を繰り返した。そのなかで住民の殺害や強姦(ごう・かん)も横行しました。

 軍は南京を包囲し、37年12月10日の総攻撃開始から4日目に、中国の防衛軍を打ち破って占領した。


意味わかんねえよ、バカハラよ。

まあ、民主党みたいなクソに投票する連中みたいに頭が弱いカスは騙せるだろうけれど。

まず、無謀な作戦で、なぜ陥落できたのか?

このバカ歴史学者を崇拝しているカスは、死んだほうがいい。

シナ軍10万(しかも城壁+防衛対空砲火砲等装備)VS4万足らずの日本軍で、しかも付近の民間から強奪したのは当時の中国軍なんだが、それを歪曲しているし。

たしかに無謀だよな。だが、結果から言えば、「少数が多数を破った」稀有な例。

治安が回復するのは翌38年の3月。それまで一般市民を巻き込み、殺戮(さつ・りく)を繰り返しました。事件の背景には中国人への差別意識があり、日本兵のストレスのはけ口になったとみられます。

こういうレトリックよく使うんだが、チョンウヨ学者は本当インチキだな。
だから、現実に当てはめてやる。

福島第一原発の事故は1年経っても収束していないで、今も放射能で汚染を続けている一般市民を巻き込み殺戮している民主党がいる。

この事実は現在進行形である。
 さて、戦争からたった4ヶ月で都市の制圧および治安回復を成し遂げている。これはイラクを制圧した時のアメリカ軍よりも優れた業績である。
 虐殺している暇等、この期間では100%不可能な数字。どんだけ社会に出ていないゴミカス教授なんだろうか、このバカは。

政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」との見解を出しており、学問的にはもちろん、政治的にも、すでに論争は決着していると思います。

 この発言で、チョンウヨたちのインチキがよおくわかる。なぜなら大虐殺等していないことなのだといっているのだ。大虐殺ではなく非戦闘員の殺害や略奪行為が0だったとは言えないというだけで、大規模かつ笠原みたいなインチキ教授の大虐殺有った理論に合致するわけないだろう。

 簡単にいえば、去年の大震災で津波による被害は民主党やこのようなインチキ学者のせいだから、さっさと詫びて死ねといっているのと同義くらいに針小棒大な糞理論。チョンウヨだって、こんな糞理論は認めんだろう。

 従軍慰安婦の問題と同じく、否定論をふりまくことは被害者を二重に苦しめます。それが、どんなに国際的に恥ずかしく、日本の評価をおとしめているか。

従軍慰安婦=戦時売春婦な。国家がむりやり軍隊派兵して略奪したことは一切ない。売春宿と契約しただけの話。
南京大虐殺というインチキ話をひろめているクズがいることのほうが、日本の評価を貶めていることに気づけよ、ゴミ教授とチョンウヨ記者のバカヒ新聞さんよ。

てめえらに、資料を読み取る力なんざないんだから、チョン死ね意見だけ取り上げて黙って従ってろって俺の意見だ。

| Ryogo Sirokaze | 22:03 | comments(0) | trackbacks(2) |
南京大虐殺は嘘ということに、嘘ではないといえない大新聞
 時代は変わったなあとつくづく感じる。

 シナチョンウヨたちのインチキ詐欺話のインチキ理論がいかにダメだったかを暴いたからなあ。

 わかったことは歴史学者とあがめ奉っている連中たちの権威を信じているのが、ほかならぬ自称リベラリストとかほざく、頭がゾウリムシ未満の頭脳のチョンウヨたちだけだったってところだ。

 & 笠原始め、インチキ教授たちのインチキ詐欺話がどんなものだったかは、お得意の南京大虐殺wikiで、自分の出した資料で自分で読んでないテイタラクさだったということ。

 たとえば、「南京は南京城だけではない!」とかほざくものに関しては、戦力分散しているなかでどうやって広範囲にわたって虐殺するのかとか、そもそも安全区の人間が安全区に集まっている間に、どうして虐殺が起きなかったんですか? というごくまっとうな質問には絶対に答えられない。だって、移動中に襲われるなら、移動しないほうが得であり、わざわざ日本軍がうろつく南京城内から逃げられないなら、安全区に逃げるとか意味不明な供述。移動している間っていうか、治安活動を行っているのは当時の日本軍であり、安全じゃなければ、安全区に移動することすらおぼつかないだろう。

 また人口論に関しては「当初安全区委員会の見込みだけだ!」とか寝言を言い始める。前に「人数を証明しろ」とかほざいていたバカがいたが、その論拠として

1 1日3万人程度しか輸送できない船で脱出は不可能。また南京城は日本軍が包囲した時には城門は閉じられていたため、脱出不可能。

2 当初残る50万のうち、大半が貧乏人か残る必要のあった人間。

3 南京安全区が予想したものだけで、実数とはいえない

 ゆえに南京城内で30万人殺せる可能性があるとか、チョンウヨ教授のくそでたらめ理論がはびこる。チョンウヨがいかに非論理的生物かわかるが、ちなみに、私はこれにすべて資料をもってして論破した。

1 1日3万の輸送は、11月21日の蒋介石の遷都命令から日本軍の占領まで20日間で移動できるとすると、当然60万移動できる計算になる。チョンウヨの頭は小学生の算数すらできないことがモロわかり。

 論理的思考がないから、こんな詐欺にひっかかる。チョンウヨは一度タクサンだの、少量だからだのに騙される。
 実際に計算する力が身についていない証拠だ。
 ちなみに、チョンウヨの親玉のマスゴミ君たちは、さすがに恥を知っているため、もうこの理論は出せまい(笑)。

2 実は、この残る必要のあった人間=公務員が逃げる描写が12月12日にあるため、残る必要のあった連中が逃げる描写および「船がなかったから脱出できなかった」理論すら覆っている。この資料。じつは南京大虐殺wikiが得意げに、日本軍がいかに凶悪だったかを示すため、逃げる市民の話として残しているが、この資料が、インチキ教授のクソ詐欺話を一蹴。
 もちろん、できのわるいチョンウヨは逃走。いまだに、船がないとか言っておきながらあったことに対する反論はできていない。

3 食糧が20万でいいというなら、なぜ餓死者が出なかったのか? の説明がまったくつかない。
 ちなみに、このインチキ詐欺師たちの理論を用いると、南京安全区の出した推論は次のことと同義。

「50万残っていて日本軍が30万を殺すから、20万の食糧が必要になる」

 と言っているのと同じだ。

 開戦前から、南京安全区の連中は30万人殺せると言えるとか、それこそ超能力かトチ狂っているアホウかのいずれか。
 当たり前だが、経済力等で残留する人口を推量するのは安全区というかお役所なら、大体把握できるし。安全区委員会が無能でも超能力者でもないのだから、戦前の推定がきっちり想定内に収まっているってことだろう。

 あとね。南京城内だけではない! とか力説しちまう連中は、こういうインチキ南京城内説と大きく矛盾するんだよね。南京城内だけではないなら、戦力が分散する広範囲の地域で虐殺はさらに不可能だし、常識的に考えれば、城内に残っている人たちを殺しまくったほうが楽だろう。
 実際は、城内に残っている人たちは、経済活動している。南京城外説は城内説を否定するし、城内説はもうすでに論理破綻。

 南京大虐殺はなかった。

 &

 当時の守るべき民間人を捨て逃げ出した中国軍こそ、叩かれてしかるべきである。

 中国国内なのだから、中国に文句をいうべきで、日本軍が謝る必要性はゼロ。
 
 それでも侵略したほうが悪い。とかいうなら、敗戦後に朝鮮人が日本人の引き上げ女性を狙ってレイプしまくったチョン死ねという意見を言わない偽善ぷりはなんとかしろ。

 チョンウヨたちよ。いいかげん偽善と、頭の弱いゴミ理論はやめろ。

 シナチョンの嘘を誇大広告して、日本人の人権を無視し、インチキ理論で日本人の税金を無駄に使わせるのもやめろ。

| Ryogo Sirokaze | 21:37 | comments(0) | trackbacks(7) |
南京大虐殺をいまだに信じているアホウどもは論理学の基礎を知らない
さて問題。下2つは同一のものでしょうか?

A=B
A=B+C

(1)同一
(2)別物

詐欺師の取る手法は、この手をよく使います。

答えはもちろん(2)。

たとえば、磁力が体にいいということと、磁石をつけた布団に100万以上の価値があるかのように見せかけることを、これを「すり替え」といいます。
また付帯状況をつけることによって、さも成立するかのように覚えさせる。これを錯覚といいます。

 実は、南京大虐殺事件も同じですね。

 日本軍が南京戦を戦った時に、民間人30万人以上を殺したと主張するのが被害者である中国側です。

 日本のインチキ歴史学者(笠原をはじめとする)は、民間人30万人はできないと知っているから、軍人を合わせてと、数を合算させて事件を成立させようとしています。
 それでも足りないため、「20万人説」と数を縮小して、論理展開する稚拙さ。

 これを詐欺というのですが、シナチョン右翼の方々は、論理の基礎もできていないインチキ学者程度の頭脳に騙される低脳なので無理も無いです。

 さて、30万人説が日本のインチキ学者ですら認めていない以上、普通はA=Bは成立しないことになるのが通例です。

 でもシナチョン右翼たちのために、インチキ学者の詐欺師たちは、あの手この手で、A'=B+Cとして、A=Bと見させたいというインチキ手段を用いるのです。

 それがまず軍人ですね。
 普通は軍人が何人死のうと「虐殺」とは形容しません。
 基本的に「軍人が戦う相手を倒すのは、虐殺でも何でも無い」という当たり前だからです。

 この詐欺が通用しなくなると「幕府山」を取り出し

「捕虜殺害は虐殺」

 という論理のすり替えを行うわけです。
 極論すれば、コレくらいしか「虐殺」としかいえないから、虐殺と形容するわけですね。

「民間人大量虐殺はどこ行ったんだ? ドアホウどもが」

 ってわけですよ。
 しかもですね。この手を虐殺していると断定している人間たちに限って、戦後のチョンどもの日本人に対する虐殺、強姦に対して、シナチョン死ねという声が一向に聞こえない。

 さて、幕府山での処刑は、「虐殺」であるか否かであるが、それらはこの時の正式政府である中華民国が陸戦条約に批准していたかどうかによる。
 条約上締結された国同士では、同一ラインの主張ができるが、そうでないものとは、そもそも成立しないからである。
 たとえば、日本国で保証されている商業形態も、中国では賄賂などが横行しているし、賃金形態も日本の10分の1以下とか、同一ラインではない。
 これと同様のことである。

 さて、この時代に中国側と捕虜殺害に関する条約が締結されていたか? に関しては、NOである。

 日本側、中国側、どちらも戦闘での捕虜に対する処遇の定めがなかった以上、日本側だけでなく、中国側にも日本兵の捕虜殺害もあり、それらが「虐殺」と日本側が訴えていない以上、幕府山ですら「合法であり、虐殺と非難されるべきものではない」と解釈すべきであろう。









 






| Ryogo Sirokaze | 20:42 | comments(6) | trackbacks(1) |
南京虐殺とかいう詐欺話を語れなくなるのは当然だろ?
  南京虐殺の未公開作品を上映へ 東京・世田谷で映画祭

2009年12月9日 16時46分

 旧日本軍による南京大虐殺(1937年)をテーマにした日本未公開の映画を集めた「南京・史実を守る映画祭」が13日、東京都の世田谷区民会館ホールで開かれる。20〜30代の十数人が「配給会社が公開しないのなら、自分たちで上映したい」と企画した。

 上映作品は、当時の映像や生存者のインタビューで構成される「南京」(米国、2007年)や「アイリス・チャン」(カナダ、07年)、「チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道」(オーストラリア・中国・ドイツ、08年)の国内で配給されていない3作品と、今年公開された元日本兵らの証言をまとめた「南京・引き裂かれた記憶」(日本)。

 実行委員の荒川美智代さん(35)は「事件を否定する人たちも出てきて、事件を語ること自体がタブーになりつつある」と危機感を感じている。

 映画祭は午前10時から、入場1作品につき999円。

http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2009120901000577.html


 
 ふ。南京事件FAQやらapemanみたいな脳みそミニマムな連中がこぞって頑張ったが、その結果でインチキであると証明してしまったものを、「事件を語ること自体がタブー」とかふざけんなよと。
 事件ソノモノ自体が「インチキの架空の産物」だったんだからさ。
 っていうか、そもそもapeman側たちインチキ教祖の笠原の論からして、立証責任を放棄した「論文モドキ」なわけで。

 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1260353177/

 2ちゃんねるにもスレがあるが、肯定派=キムチ民族が中のやつであること確定的だなw

 ま、いまだに南京大虐殺があっただの、南京事件があった! だのほざいているカスは北チョンにでも行ってろや。

 少なくとも30万人以上殺せた! とか喚いている南京事件FAQを作ったり、それを信奉しているようなインチキ詐欺師連中に騙されないためには、常識を持つことです。
| Ryogo Sirokaze | 11:33 | comments(2) | trackbacks(1) |
明らかなる百人斬りの矛盾 望月証言と志々目証言
望月証言
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm

「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
 戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。


志々目証言
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm
「郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……
 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……
 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……
 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」
 これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた。腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵……なぜ中国兵は逃げないのだろう? 反抗しないのだろう? 兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか。
 そのほかにも「中支戦線」や戦場生活の話を聞いた筈だが、忘れてしまっている。
「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」という言葉は今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味だそうだ。これは竹内好さんや安藤彦太郎さんたちのいう“兵隊シナ語”の一種でもあったのだ。




さて、これが後に据え置き惨殺について100人斬りベースになった話です。
中国人の洗脳の仕方は、物事の整合性をどこまで無視すれば気が済むんでしょうか?
おかしいと思いませんか?

時も場所も時間も惨殺された人も全然違うのに100人斬りはあったと・・・・・・。
ふざけんのもタイガイにしろよと。
どれも嘘のような気がします。
それにしても志々目証言には笑える。

これを聞いて、私の頭には新聞写真で見たような敵の陣地が浮かんできた。腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵……なぜ中国兵は逃げないのだろう? 反抗しないのだろう? 兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか。

 ですねえ。
 なんなんでしょうね。この不思議な感覚は。
 他の関係者もこれと同じことを聴いたのでしょうか?
 他にも不思議に思ったのは、わざわざ占領した塹壕に中国兵をとどめておく意味ですね。声が届く範囲で最低限200名は来ないとおかしいでしょうし、そうすると狭い塹壕にひしめきあっていたってことでしょう。ちなみに200名が占拠するための広さは人が一人当たり座っていたとして、1m四方としても200屐小学校の校庭の縦100m横50mのトラック4つ分の広さ。かなり大声だったのかな?

 後方の人に話す時は

「ニーライライ」

 と大音声で叫ぶ必要性ありですな。
 ハンディ拡声器って、この時代あったかな? メガホンはあった気がするが。

 ところで、もう一つ。常識では考えられない行動。
 仮にあったとして、100体を叩くのはかなり骨が折れる。
 計算してみよう。
 ぞろぞろと出てきたのを10名。一人頭5名とする。
 すなわちこれを20回を要する。
 現実的に考えて、並ばせて処刑するのが100人、1人50cmとしても50mとかありえんと思われるので、それぞれ斬りつけ、そこまで完了したとする。
 呼び出してから1分と仮定する。1分で据え置きセットし、1分で斬っていく。刑7分。これが20回続くのである。140分経過することになる。
 2時間20分の大仕事だ。東京発新幹線のぞみで、京都までいける計算になる。
 人数を多くするというのは、それだけ時間がかかるということだ。
| Ryogo Sirokaze | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
なんつうかなんでこのマトモ解釈に対して、結論電波なんだよ!
>新聞記事に掲載されていたのは「両少尉が軍で戦って百人斬りを行っていた」ということだ。「裁判で百人斬りは事実」として認定してしまっている点である。(※ 別解説)

はい、これがもう嘘。別解説の部分も含めて。高裁判決は次のように認定している。

>南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても,本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について,同記事の内容を信じることはできないのであって,同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。
> しかしながら,その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても,次の諸点に照らせば,両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で,当時としては,「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず,本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり,全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。

これを読んでも
1)裁判所は、報道通りの「百人斬り」が行なわれたなどとは認めていない。そもそも被告側もそんな主張はしていない。
2)他方、「百人斬り」報道の背後に、そのベースとなったような事実があったことは認めている。
の2点が分からない人間がいるわけだ。「特定日本人」ってことかな?

出発点が嘘っぱちだからその後も当然嘘っぱちだらけ。
Posted by: Apeman |at: 2009/01/04 2:44 PM




 さてapeman先生には悪いんだが、1)を主張したのは、誰であろう、その特定日本人は、あんたの信者であるナナバカ君である。
 ちなみに別解説は特にapeman氏のいうような嘘とはおもえないというか、矛盾しない。「言っていることが事実」=「ベースとなっている事例(証言による言っていること)が事実」は変わらないからだ。

 止めろよ。ナナバカを。

 さて、ここで。コメント欄にも疑問を残したが、

ここから100人斬りは事実で裁判でも認められた!

 になるのか不思議でしかない。むしろ、事実認定からは

100人斬りは、行われていない

 の一言でしかない。

 この行間をまったくもって埋めていないので、ナナバカみたいな連中がカンチガイするのである。
 いや、むしろapeman先生がこの至って常識的な 1)を主張しているのに、結論が「百人切りは事実だ」と言い張るのか、不思議でならん。

 このエントリーに対して解説を求める者なり。
| Ryogo Sirokaze | 15:32 | comments(3) | trackbacks(0) |
詭弁の典型
その前に当たり前のことを敢えて確認しておくと、「百人斬り」報道が記者のでっちあげであるという否定派の主張は訴訟を通じて粉砕されました。特にN少尉の方は南京攻略戦終了後も積極的に「百人斬り」について語っていること、また小学校での講演で捕虜の据物斬りをやったと話していたことは複数の証言(裁判後に明らかになったものを含む)により裏づけられています。もちろん、当人が「やった」と言っているからといって直ちに「やった」ということになるわけではありませんが、「やった、と言っていた」という証言も複数あり1件のみとはいえ「やっていたのを見た」という証言(いわゆる望月手記)もある以上、「やった」という当人の主張を覆すには相当な反証が必要です。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090102/p1




 さてさて、これを一読すればわかるが、論理的に矛盾をきたしている。
 新聞記事に掲載されていたのは「両少尉が軍で戦って百人斬りを行っていた」ということだ。「裁判で百人斬りは事実」として認定してしまっている点である。(※ 別解説)
 また「捕虜の据え置き斬り」についてであるが、これについて「捕虜殺害をしたことがある」についてだけは事実だ。

 apeman先生の脳内事実と論理構造を解りやすく羅列すると、

(1) 戦場において百人斬りを行ったのは記事どおり行ったのは事実である。
(2) 捕虜殺害は事実である
(3) だから百人斬りは事実なのであり、反証は難しいのである!

宇宙一のバカですか?

 だからさ。チラシの裏に書く前に、見直したほうが良かったんじゃねえの? っていった意味で、わざわざ論理学の問題を出してあげたんですよ。
 あんたらのクソ論理なんか100人中10人ぐらいのアホにしかわからんよ。その10人がこぞって集まっているだけだから。ま、本当に。 
 こんな人が常識とかいうのは、少し常識がまったく人とは違っているみたいですね〜。

 潜水艦さんが、ダメダメ言うのもわかる。

 
 まあここまで分解すればわかるでしょうけれど、っていうか解らなければ本当頭がどうにかイカレてるのかもしれんが、彼らの矛盾した主張を指摘しましょう。

 では解説しましょう。

 (1)と(2)はマッタク違った事例であります。
 (1)は戦闘中。(2)は捕虜殺害行為です。

 ここから。apeman先生脳内では、以下のことが言えます。

a.両立の論理的矛盾
 (1)を事実認定とするなら、(2)は別件になり100人斬りではない。
b.片方認定の論理的矛盾
 (2)で100人斬りであるというなら、(1)は事実認定はできないことになる。
c.総合数の論理的矛盾
 (1)と(2)で100人斬り競争が発生しているのなら、総勢200名は斬っている計算になる
d.主張の矛盾
 (1)および(2)は別件であるが、最後の主張にまとまっている癒着がないため、a〜cにより各種矛盾をきたしていて、最後の結論が意味不明  



 ここまで論理的に矛盾をきたしているのに、apeman先生たちのところのコメンテーターは揃いも揃ってカスばかりだとしか言いようがない。
 
 apeman先生さんよ〜

 これらの矛盾。

 どれも100人斬りとしてあんたらの脳内では片付いているのなら、総勢400名以上は、たった二人でたたっきっているんだぜ(笑)。
 つまり、100人斬りとしても矛盾しているわ。

 よく言うじゃん。論語読みの論語知らずと。
 なんか脳内で適当に組み合わせるから、基本的に主張がおかしくなっている。
 まあ、PCプログラマーには絶対になってはいけない人ですね。
 基本的な常識をわきまえていたら、「事実として認定」なんてされてないのが、一目瞭然なんだがな。

 さて、俺は以上から矛盾なく言わせてもらうなら

「戦闘中に100人斬り競争をして、敵中国兵をバッタバッタと倒した両少尉には三国志にも出てくる「関羽、張飛」らの軍神に等しい」

 ということを認めましょう。

apeman先生も満足でしょう(プッw)

 だから捕虜殺害による100人斬りなどは異論で排除すべきだ!
ですね。

 「裁判所も100人斬りが事実と認めたとapeman先生は言い張るのですから、当然、その他である「捕虜殺害」が百人斬りは異論であることは間違いないわけで。
続きを読む >>
| Ryogo Sirokaze | 13:50 | comments(52) | trackbacks(1) |
100人斬り論争における裁判 敗訴した中身を取り上げる
さてさて。サヨクにとっては敗訴という「結果」だけが重要である。
その敗訴の中身については、重要な事実が隠されていることに気づかないことが多い。

http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/hanketsu-4.htm

敗訴になった名誉毀損部分

 まず,本件各書籍において,死者が生前に有していた社会的評価の低下にかかわる摘示事実又は論評がなされているか否かについて検討するに,本件各書籍のうち,「中国の旅」文庫本の第24刷以降のもの,「南京への道」文庫本の第6刷以降のもの及び「本多勝一集 第23巻 南京への道の第2刷以降のものは,両少尉について,いずれも匿名で表記しているとはいえ,「M」「N」が本件日日記事において「百人斬り競争」を行ったと報じられていたこと及び南京裁判で死刑に処せられたことを具体的に摘示しており,本件日日記事に掲載され,南京裁判で処刑された「M」「N」は両少尉以外にいないものとみられるから,この程度の記載であっても,両少尉を十分特定し得るものと認められる。

そして,前記認定事実によれば,本件書籍一ないし三《「中国の旅」,「南京への道」,「南京大虐殺否定論13のウソ」》においては,いずれも,婉曲的な表現や,基礎事実からの推論の形式による論者の個人的な一見解の体裁を採りつつも,結論的に,両少尉が,上官から,100人の中国人を先に殺した方に賞を出すという殺人ゲームをけしかけられ,「百人斬り」「百五十人斬り」という殺人競争として実行に移し,捕虜兵を中心とした多数の中国人をいわゆる「据えもの斬り」にするなどして殺害し,その結果,南京裁判において死刑に処せられたといった事実の摘示がなされている(以下,当該事実の摘示を「本件事実摘示」という。)と認められるところ,両少尉が,「百人斬り」と称される殺人競争において,捕虜兵を中心とした多数の中国人をいわゆる「据えもの斬り」にするなどして殺害したとの事実(以下「本件摘示事実」という。)は,いかに戦争中に行われた行為であるとはいえ,両少尉が戦闘行為を超えた残虐な行為を行った人物であるとの印象を与えるものであり,両少尉の社会的評価を低下させる重大な事実であるといえる。

また,「南京への道」のうち,番号二の2,同二の3の記事(*)を掲載したもの及び「南京大虐殺否定論13のウソ」においては,両少尉が,前記「百人斬り」競争に関し,その遺書等において,向井少尉が「野田君が,新聞記者に言ったことが記事になり」と記載しているのに対し,野田少尉が「向井君の冗談から百人斬り競争の記事が出て」と記載して,互いに相反する事実を述べていることに対し,「一種なすり合いをしている。」として責任のなすり合いをしている旨の論評(以下「本件論評」という。)をしているが,両少尉が死刑に処せられるに当たり,その遺書等において,互いに責任のなすり合いをしたか否かという点は,両少尉の社会的評価を低下させるものであるといえる。

もっとも,本件各書籍は,両少尉の死後少なくとも20年以上経過した後に発行されたものであり,問題とされる本件摘示事実及び本件論評の内容は,既に,日中戦争時における日本兵による中国人に対する虐殺行為の存否といった歴史的事実に関するものであると評価されるべきものであるから,当該表現行為の違法性については,前記アで述べた基準に従って,慎重に判断すべきであるといえる。


 さあ、なんでこれで敗訴になったか?

 原告らは,そもそもいわゆる「百人斬り競争」を報じた本件日日記事自体が,浅海記者ら新聞記者の創作記事であり,虚偽である旨主張する。
(中略)
 両少尉が,本件日日記事にある「百人斬り競争」をその記事の内容のとおりに実行したかどうかについては,疑問の余地がないわけではない。
(中略)
 少なくとも野田少尉は,本件日日記事の報道後,「百人斬り競争」を認める旨の発言を行っていたことが窺われる。

 つまりこの時点で、裁判所は、「両少尉が言っていること」を重視し、「現実では疑わしい」ことはきちんと述べている。

 ここまでは比較的マトモである。

 以下裁判所がココから異常な結論を出してくる。

 原告らは,紫金山の攻撃については,歩兵第三十三連隊の地域であり,両少尉とも紫金山へは行っていないと主張する。しかしながら,前記認定のとおり,冨山大隊は,草場旅団を中心とする追撃隊に加わり,先発隊として活動していたのであって,その行軍経路には不明なところがあるものの,第九連隊第一大隊の救援のため,少なくとも紫金山南麓において活動を展開していたと認められ,紫金山南麓においては,比較的激しい戦闘も行われていたようであって,本件日日記事第四報の「中山陵を眼下に見下す紫金山」なる場所に誤りがないとは限らないが,両少尉の所属する冨山大隊がおよそ紫金山付近で活動していたことすらなかったものとまでは認められない。


「場所に誤りがないとは限らないが、活動していたことすらなかったものとまでは認められない」

 とんでも判決を出している。この一文。通常の殺人事件で考えれば明白。

 一般の殺人事件で言えば、東京都の世田谷区に誤りがないとは限らないが、世田谷区で活動していなかったことすらなかったものとまでは認められない。

 冤罪増えるわけだよ。


 さらに,原告らは,向井少尉が,昭和21年から22年ころにかけて,東京裁判法廷において,米国パーキンソン検事から尋問を受け,「百人斬り競争」が事実無根ということで不起訴処分となった旨主張する。しかしながら,向井少尉の不起訴理由を明示した証拠は何ら提出されておらず,また,パーキンソン検事が向井少尉に対して,「新聞記事によって迷惑被害を受ける人は米国にも多数ありますよ。」と述べたことを裏付ける客観的な証拠も何ら存在しないのであって,その処分内容及び処分理由は不明であるというほかなく,仮に向井少尉が不起訴であったとしても,東京裁判がいわゆるA級戦犯に対する審判を行ったものであることからすると,A級戦犯に相当しないと見られる向井少尉の行為が,東京裁判で取り上げられなかったからといって,当然に事実無根とされたものとまでは認められないというべきである。


 一般人に犯罪履歴がないから、犯罪していないのは事実無根とされたものまでは認められない。
 すげえ。この裁判官。こんなこと言っているぜ。
 

以上によれば,少なくとも,本件日日記事は,両少尉が浅海記者ら新聞記者に「百人斬り競争」の話をしたことが契機となって連載されたものであり,その報道後,野田少尉が「百人斬り競争」を認める発言を行っていたことも窺われるのであるから,連載記事の行軍経路や殺人競争の具体的内容については,虚偽,誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないものの,両少尉が「百人斬り競争」を行ったこと目体が,何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である。


 いったい、どこの国だよ。前提条件ことごとくデンパ理論で冤罪しながら、創作ではないとか、アホかと。

 実際これほど不当判決もあるまい(笑)。

 これは笑ってしまう。

 裁判所が酷すぎるアホウ揃いか、あるいはなんらかしらのシナチクに配慮したことをうかがわせる判決である。

 よく冤罪で騒ぐサヨクが、この裁判では騒がないかはサヨクという存在がアホウである証拠だ。前提条件がきっちりとしているのに、難癖つけては認められないなんてやっていたら、無罪な人間も有罪に簡単にできる。

 弁護士は異議を唱えなかったのだろうか?


イ) 本件論評について
原告らは,本件論評が虚偽である旨主張する。

しかしながら,本件論評においては,両少尉が,前記「百人斬り」競争に関し,その遺書等において,向井少尉が「野田君が,新聞記者に言ったことが記事になり」と記載しているのに対し,野田少尉が「向井君の冗談から百人斬り競争の記事が出て」と記載して,互いに相反する事実を述べていることが重要な基礎事実となっているというべきところ,前記認定によれば,その前提事実自体は真実であると認められる。そして,そのような相反する事実を述べている状態を「一種のなすり合いである」と評価し,そのように論評したとしても,これが正鵠を射たものとまでいえるかどうかはともかくとして,これを直ちに虚偽であるとか,論評の範囲を逸脱したものとまでいうことはできない。
したがって,原告らの上記主張は採用することができない。


 要約してこの裁判所の条文を読むと

「矛盾しているものがあっても、これを直ちに虚偽があるとか、論評の範囲を逸脱したものとまでいうことはできない」

 ま、マジっすか?

 矛盾してても虚偽ではないと。

 たとえば、大阪に出張していたのに、東京で殺人が起こったのに犯人にされたのを「東京で殺人した虚偽であるとはいえない」ですか。

 ナンじゃこりゃ?

 これで次。高裁

http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin/Kousaihanketu6.htm

5 原判決11頁14行目末尾に「なお,本件各書籍の記載が控訴人らについて言及したものではないとしても,本件各書籍の両少尉に対する言及が「殺人ゲーム」の実行者,「捕虜虐殺競争」の実行者等と名指しするという甚だしい名誉毀損表現であるため,近親者である控訴人らは,その親族に付いてまわる社会的評価の低下という被害を現に受けているのであるから,被控訴人らには控訴人らの受けた精神的損害を賠償する義務がある。」を加える。

6 原判決12頁14行目の次に行を改めて次のように加える。
「なお,歴史的事実であっても,死者の名誉に関する表現行為に「一見して明白に虚偽であるにもかかわらず,あえてこれを摘示した場合」などという原判決のような基準を適用すべきではない。このような基準は,事実上被害者に不可能を強いるものであり,被害者の法的権利を奪うことになるからである。
 もっとも,本件においては,控訴人らにおいて,被控訴人本多が検証もなく「殺人ゲーム」の記事を書いたこと,志々目彰,望月五三郎,鵜野晋太郎らの文章が、根拠のないものであるか,少なくとも両少尉とは無関係であることを証明すれば,上記の記事が「一見して明白に虚偽である」と認定されてしかるべきである。」

7 原判決12頁18行目の次に行を改めて次のように加える。
「なお,本件日日記事の「百人斬り競争」をその記事のとおり事実というためには,\鐺中の行為であること,⊂赦12年11月29日から同年12月12日までの行為であること,L擬發ら(佐藤記者の証言によれば常州から)南京までの行為であること,て本刀を使用して敵兵を斬ることによって殺害したものであること,ヂ真瑤涼羚駟爾鮖Τ欧靴燭海箸粒道実が必要であり,特に,寮鐺中の行為であるということこそ本件日日記事において最も重要なものである。したがって,本件日日記事の根拠として「捕虜据えもの斬り」の文章を挙げ,「捕虜据えもの斬り」の根拠として本件日日記事を挙げるのは誤っている。」


 ああ、高裁はすごくマトモだわ。

 つまり地裁のデンパ判断は高裁により否定されています。

 で結局、それでも死者に対する名誉毀損には値しないという判断を支持し、このまま最高裁判所も高裁判決そのままです。

 さて、重要事項の判決です。

 再三自分も主張していますが、高裁もきちんと

「なお,本件日日記事の「百人斬り競争」をその記事のとおり事実というためには,\鐺中の行為であること,⊂赦12年11月29日から同年12月12日までの行為であること,L擬發ら(佐藤記者の証言によれば常州から)南京までの行為であること,て本刀を使用して敵兵を斬ることによって殺害したものであること,ヂ真瑤涼羚駟爾鮖Τ欧靴燭海箸粒道実が必要であり,特に,寮鐺中の行為であるということこそ本件日日記事において最も重要なものである。したがって,本件日日記事の根拠として「捕虜据えもの斬り」の文章を挙げ,「捕虜据えもの斬り」の根拠として本件日日記事を挙げるのは誤っている。」

 としています。
 まあ、当然ですね。地裁がバカなだけで。

 笠原論死亡です(笑)

 名誉毀損に対する損害賠償は敗訴に終わりましたが、「百人斬り」に捕虜処刑の根拠を導くのは間違っていることは高裁、および最高裁でも確定しました。

 実質十分な勝利ではないでしょうか?

 そもそも、戦闘に参加して敵兵を殺すことは名誉です。
 ですが、捕虜処刑との関係は認められないってのは常識です。

 ゆえに、名誉毀損ではなく「事実認定」での虚偽罪のほうがこの裁判では勝つ見込みがあったってことかな。
| Ryogo Sirokaze | 12:33 | comments(20) | trackbacks(1) |
南京事件関係 再び 100人斬り論争
 はっきりいう。
 南京事件なんて、大多数の日本人は「物理学上、ありえない」で結論がついている。
 都市攻防戦における犠牲者は否定しないが、それは

「犠牲が出る前に犠牲者を出さないように努力しなかった中国政府、中国軍の無能さ」

 が際立つだけで、それを「非道な日本軍」というプロパガンダでごまかしているに過ぎない。真に中国人に謝罪と賠償すべきは中国政府である。
 三国志演義の中で、劉備につき従った民のごとく、蒋介石も南京50万の住民を移送させることが可能だった。1日3万の輸送能力を用いれば、遷都命令11月20日から日本軍が包囲するまでの12月9日までに、ゆうに20日はあり、60万は運べる計算だ。これを行わなかった中国政府、中国軍のゲリラの盾として使った非道な戦略以外あるまい。敵である日本軍には、民間人かどうかなど区別する術を持たないのだから。
 日本も原爆の被害者には、アメリカ政府からではなく、日本政府から被害者救済金が出ている。これは原爆を積んだB29を止める事が出来なかった政府の責任が多大だからだ。
 いかに彼らサヨクが頑張って水増ししようとしても、その頑張りは結局破綻している。
 必死こいてやっている姿を見ていると、アホらしくて仕方ない。で、歴史修正主義者とか、負け犬の遠吠えをしている。
 どう喚こうと、現実問題、彼らのインターネットでの活動は破綻している。
 彼らにとって、反日活動および謝罪と賠償活動は、彼らの欺瞞的偽善の塊であるから生活の一部である上に「アイデンティティ」であるが、大多数の日本人にとって、そんな論調が受け入れるわけもなく、今日も今日とて喧嘩を売っては、「キモイ宗教集団」にしか見えない。
 政治関連ブログで、上位を占めているのは彼らの主張と真逆な主張のほうがTOPに来ていることからも、彼らの論調がどうして受け入れられないのか? という根本的疑問を抱いていない。
 彼らの主張がまったくナンセンスでクズだからだという、当たり前の結論に到達しない。
 笑ってしまうのは、「仲間同士が多いからだ!」という論をするサヨクも多い。
 ま、このような笑えるカンチガイ分析は、インターネット初心者にとっては、どっちがマトモな論をしているかに尽きるという事実を見ていない。
 もちろん、仲間がさらに仲間を呼ぶ。それは確かだ。
 では、サヨク連中はネットウヨクに匹敵する仲間さえいない超絶マイノリティ集団でしかないってことを認めているに過ぎない。
 巨大な誰でも使えるインターネットに、時間と空間を飛び越えて共感する人間が多い=「サイレントマジョリティ」であることに気づいていない。
 その上で、「南京大虐殺」を「無理やり押し付ける」連中に、共感など覚えるのは変態くらいのものである。サヨクのブログが大勢に対して人気がないのも、「超マイノリティ」で自慰行為の延長にしか過ぎないからである。

 既に戦後60年が経過している上に、いわば相当昔の過去歴史であり、現在多種多様な媒体から、サヨクが頑張って「南京大虐殺」を挙げても物理的に不可能であることが証明されている事実を無視しても、なんの意味もない。

 彼らサヨクの主張はキモイ。それを認めたほうがいい。生理的嫌悪感=ブログランキング下位が全てを証明している。

 さて、100人斬り論争である。

 まず前提条件として、戦場で二人で競争して斬っていたという状況だ。

 ここに、「捕虜処刑」なる言葉は一つも入っていない。純然たる戦争行為である。だから、笠原氏の100人斬り論争の書物は読むに値しない。なぜなら、戦場では不可能であることを解っていて、「捕虜処刑」という特殊状態にしかできないことを言っている「空想科学理論」とたいして変わらんからである。

 さてさて。武勇伝に関することに関しては、戦場において「ありえた」「ありえない」ことが多数織り交ぜている。
 サヨク連中は、面白いことに「戦場で斬り競争があったから、あったのだ!」という論をぶちかますが、昔の武将で「鉄砲兵器が連射機能も多数の大砲もない時代」と、その当時の銃兵器が行き届いていた時代と比べるのがありえない。せいぜい「戦国時代の武将」にでもなったつもりで言っていたのを誇張していたとしか言いようがない。
 これはサヨクが兵器とその戦争の本質を知らないからできる妄言である。

 日本刀の強靭さとか、戦場でも不可能ではないということ以前に

「武器は、敵がとどかず、こちらが届く」

 が鉄則である。
 実際に、敵の砲弾へ斬り込んでいったら日本刀が届く前に全滅してしまう。そんなシチュエーションが武勇伝に出てくるほど好きみたいだが、あれは映画や漫画の話であって、実際は銃をぶっ放しながら、徐々に接近と後退を繰り返すしかない。
 100人斬りがありえるなんていうのは、確実に「武勇伝」であって事実ではない。

 ま、ガタガタいうサヨクは、実証できないから喚いているのである。


100人斬りがあるようにいうサヨクは、「リアル南京無双」をするべきである。

 不可能という人間が拳銃の実弾で、「ありえる」と主張するサヨクが日本刀を持てば良い。
 で、想定される市街戦にどこかの地方都市を借り、
 100(実拳銃)VS1(日本刀)で勝てるような「リアル南京無双」をapeman先生たちは受けて立つべきだろう。
 死んでもかまわんという限定付きで、2人ずつ。
 論より証拠である。
 秋葉原でも17人は殺せたのだから、ダガーナイフより強力な日本刀なら100人は達成できるに違いない。もちろん、apeman先生たちが死んだらその時点でアウト=100人斬りは嘘であるが。
 小学生並みのapeman先生たちのテイレベル知識では「不可能ではない」らしいから、受けて立てるだろう。
 100vs1であっても、可能なんだから。


 また、捕虜処刑に関してブーブー言っているのは、笠原のようなインチキ教授のインチキ理論である。
 もし捕虜処刑で言いたいのなら、最低限、少尉が行った確実な命令書。行ったときの名刀や値段、まっすぐ振り下ろし、居あいぬきの早業ができることを証明する師匠、流派、弟子などがいるはずである。それらが証明されていない、というか所詮笠原氏の脳内で構築されたインチキ説なので、リアルでありえないのだが、まあ「可能であることを証明する材料がなければ空論である」ことを解ったほうが良い。
| Ryogo Sirokaze | 11:44 | comments(3) | trackbacks(1) |
インチキwikiの理論 安全区外説
問題1:中国説以外を無視
日本の歴史学者による「南京事件(南京大虐殺)」の概説書では、殺害の犠牲者数として4万から20万程度の数字が挙げられている。つまり日本国内の議論に30万という数字は出てこないのである(参考)。

にも関わらず、この「否定論」を持ち出す者はなぜか30万虐殺だけが「南京大虐殺」であるかのようにアピールする。これは、いかにも否定しやすそうに見える「30万虐殺説」を攻撃することで、あたかも当時の南京で何もなかったかのように印象操作をする目的なのだと思われる。実際この否定論を唱える者は「南京大虐殺(この場合30万虐殺)はなかった」と連呼するだけで、「では実際にはどの程度の犠牲者が出たのか」と議論を展開させることはほとんどない。

……と指摘すれば、否定論者は間違いなく「俺は中国の説を否定しているんだ。他の説は関係ない」と反論してくるだろう。しかしそれこそが否定論者の不誠実さを浮き彫りにする。中国説を否定するのなら、地理的な範囲、「虐殺」の範囲を中国の主張と一致させたうえで、それが成り立たないことを証明しなくてはならないはずだ。ところが「20万都市で30万虐殺は不可能」論はそれさえ行なっていない。





これを作った人間は真性のアホであると断言しよう。

そもそも南京大虐殺とは、

日本軍が首都占領後の6週間30万以上の虐殺

と定義されている。
これは、中国側の学者だけではなく、中国政府そのものの認定だからだ。

従って、いつ首都が陥落したか?
12月13日である。
これには、12月13日以前から始まったとする笠原説、ホンタクの妄言は、愚の骨頂!

ゆえに、30万を否定すれば、そもそもそういう大虐殺はなかったというだけの話であり、
「どの程度の犠牲者数が出たのか」
が出ないのは、
「定義上否定されたのを論じる必要がまったく無いから」
である。

犠牲者数を論じることより、現実的な30万の数字を破壊するだけで、南京大虐殺なんていう定義そのものが作られないのだから、論じる必要も無かろう。


問題2:人口と地理的範囲のごまかし

南京の人口を20万とすることも初歩的なトリックである。
「虐殺」の地理的範囲とされるのは狭い場合でも「南京市」なので、人口も南京市のそれを基準としなくてはならないはずだ。しかし前の項目でも述べたように「20万」というのは「安全区の推定人口」に過ぎない。安全区の面積は南京城内の1/8程度に過ぎず、そのうえ「南京市」の範囲は城内だけでなく城壁周囲の広い地域も含むのである。

当初は安全区に20万人が集まったと推測されていたが、安全区に避難してこなかった住人も万単位で存在したというのが外国人たちの最終的な認識だった。陥落時の南京市全体の人口が20万ということはありえない。




この論理を作った人間こそ、初歩的なトリックである。

当初は安全区に20万人が集まったと推測されていたが、安全区に避難してこなかった住人も万単位で存在したというのが外国人たちの最終的な認識

はい。これは見事にウソであると断言できます。

インチキその1 実は「当初は安全区に20万人が集まった」と推測されていた。

 実は10万人なのです。

ワシントン・ポスト1937年12月10日
『そこでは国際委員会が安全区を設立して、機械化された日本軍の軍団が城壁に押し寄せてもなお家郷を離れようとしない中国人約10万人を救援しようと空しい努力を行なっていた。』
南京事件資料集 アメリカ関係資料編 P515 青木書店

シカゴ・デイリー・ニューズ1937年12月10日  ATスティール記事
『すでに10万人近くが、ここは残留住民の多くに地獄の苦しみを与える砲撃や耳をつんざく弾丸の音から逃れられる天国だとまったく信頼して、安全区に入った。』
南京事件資料集 アメリカ関係資料編 P462 青木書店


 そう。実は安全区には10万という認識しかしていませんでした。

 というわけで、肯定論者の「当初は安全区に20万人が集まった」と推測されていたわけではなかったのです。
 それを資料が証明しています。

 なぜ、こういう論を貼らなければならないか?

ニューヨーク・タイムズ記事(12月19日付)

一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。

(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p423)

 これを出すためですね。実は、ほとんどの人が安全区に20万いたという風に錯覚しているのですが、資料の通り10万です。
 
 食料請求したのは陥落後です。つまり、安全区外に多数いようが、市全体としては20万では? ということでしょう。


インチキその2 外国人が安全区外を多数認識した


 さあ、では肯定論者の中で、外国人が認識したとする数万を見てみましょう。

ニューヨーク・タイムズ記事(12月19日付)

一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。

(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p423)

ラーベの日記(1938年1月17日)

 昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内をまわった。〔中略〕南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したと言ってよいだろう。
 日本軍は安全区から出るようにとくりかえしいっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。今は道の両側にそこそこしっかりした作りの屋台ができているのでなおさらだ。そこではありとあらゆる食料品や衣料品が並べられ、なかには盗まれた故宮宝物もまじっている。難民の数は今や約二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。

(『南京の真実』文庫版p216)


「極東軍事裁判」 速記録第49号 (A.検察側立証段階7)
○マギー証人 それは一寸幾らいたかと云ふことは申上兼ねるのでありますが、我々委員会の「メンバー」の委員の推定によりますと、安全地帯には約二十万、或は三十万を超したかも知れませぬ。城外の安全地帯にはもつともつと沢山居りましたが、何れにしても推定は不可能であります。


はい、それぞれ有名な資料ですね。

 実は、これらは何時、ドコで、どんな状況でという基礎的なことではかなり食い違うのです。

ダーディンは、12月11日
ラーベは1月17日
マギーは8年後の証言です。

つまり、時系列全部バラバラなんですね。

 しかも、彼らが共通しているのは「安全区外にはいたかもしれない」程度で、「数万もいたことを実証できているわけではない」のです。
 なぜなら、これらは全て調査した数字でもなければ、超主観的な数字なのです。
 まず一つ。ダーディンのニューヨークタイムズ記者のこの一方の前の文を掲載する必要性があります。

<引用>
それ弾、損害を与える

 日本軍の砲弾が新街口近くの一角に落ち、100人以上の死傷者を出した。それ弾による死者はほかにも100人はいるものと思われる。一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。安全区の非戦闘員の食料は、中国軍の瓦解により供給が完全に絶たれた。
一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。

(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p423)

<引用終了>

はい。これ。記事の中身を見てみれば、戦中のことです。
数日が経過して記事が出ていますので、南京陥落後ではないということですね。
前段のワシントンポスト12月10日の記事を見れば、安全区が今設立されたかの印象ですが、12月1日の市長による命令前にとっくにできていました。

この当時のインフラ事情を考えれば、この時間差は「当たり前」なのです。

リアルタイムでできたわけではありません。
従って新聞記事を読むときには、距離と時間を考慮しないと資料を検証したことにならないわけ。

 現在みたいに、E-MAILやFAXが普及していない時代ですから、中国で記事を作ってアメリカへ郵送。ゲラを作って校正をすることをすると、一週間以上はかかるという見込みですね。
 当たり前ですが、この当時には、超長距離旅客機なんていう存在が無いため、また日本軍ですら、「戦闘機」を「爆撃機モドキ」仕様にして運用していた時代。
仮に当日書いたとしても、船便で長旅をするわけですから、かなり遅くなるわけです。

 したがって新聞記事は話半分にするしかありません。

 また5万も外に存在しているのが、どうして安全区委員会委員に分からなく、NYT記者が分かるのでしょうか?

 実は新聞記事が超イイカゲンな例として、沖縄戦で住民に自殺命令を出したということを削除することに抗議する集会に、11万以上という記事が出ました。ところが、写真を検証したり、物理的にその地域を換算してみると、2万が限度で、写真を精査したところ1万7千程度だったと、明らかに水増ししているということが後に分かりました。それにも関わらず、まったく訂正していません。
 かように、新聞記者は数の上では大嘘ぶっこく姿勢があるということが分かるでしょう。

 事実は、ダーディンが認識できていたのは、ワシントンポストと同じ資料をもっているはずですから「安全区内10万人」収容です。

 そうして、数字はともかく、それ以外には一応安全区外にもいた。でも、10+5で、15万程度。

 ただこれだけですね。この資料の価値は。

 そうしてこのことを踏まえると、安全区外に10万いても、5万人追加しても20万以内に気づきませんか?

 「20万が安全区内に最初からいた」という認識は、していないということですね。

 肯定派連中は、当時の時間差など考えもしないで資料を読んでいるから、無茶苦茶な「安全区外多数説」を出すわけです。

 それは、なぜか?

 「大虐殺が証明できない」からなのです。インチキ思考をしているから、時間どうでもよくなっているみたいですね。

 食料請求は、先にも書いたように陥落後の話ですので、「戦闘終了後、安全区外から安全区内に移動した」ことは十分考えられます。
 また、被災していない地域でも、食料を求めて、安全区に「食料だけ受け取りに来た」かもしれません。
 したがって、「ほとんど安全区内に集めた」は事実であると認定できます。
 実際、1月17日のラーベ日記には、ほとんど廃墟になっているところもあったようですし、砲弾炸裂のまんま、1ヵ月後になって移住するなんて、アホなことはしませんからね。

 そうして問題はその、ラーベの日記1月17日にもあります。
 ラーベは、根拠の無い散歩中に1ヵ月後に増えた5万人は安全区外だと断言しています。明らかにおかしいですね。

 ラーベの日記14日には、彼は16万の市民登録があることを知っています。

 一般人は20万人だった! だから25万だ! と主張しますが、時系列で見れば、14日には16万人という数字がでているのです。

 17日には、基準点が16万なわけですよ。
 だが、どこにいたかわからないものを、5万が増えたとどうやって認識できるのかが、非常に不思議です。
 しかもこのオジさんは、16万+アルファの部分をすっ飛ばして、24〜30万とか「非常にあいまい」な数字をいっておきながら、5万人は〜と実数字で言っているんですから、どうみても後付で加筆されたような気がします。

 彼らは当初推計10万だったことは先ほどの資料にもあるとおり。
 従って、安全区外を含めても20万程度だろうという認識だったとしかいいようがありません。
 実際、それで餓死者が出ていないので、認識は正しかったということでしょう。
 ところが、ラーベは14日の認識と17日の回顧記録は明らかに資料上齟齬をきたしています。
 所詮日記ですから、加筆修正が行われているであろうことは想像に難くないですが。

 しかもですよ。そんなに必要ないとかいって、1月19日には、食料請求が引き下げられています。

 分かりやすく言えば、再び20万食料で足りるということを言っているようなもんです。

そうしてマギー証言です。

 マギーは、自身が安全区委員会に所属しているにもかかわらず、適当な数字をぶっこいています。
 もし彼の独自の数字が正しければ、餓死者が出ていなければ、おかしい数値です。なぜなら、20万人分の食料しか請求していないのだから、安全区内に25〜30万もいたら、5〜10万人は餓死が出る計算になります。
 戦果の水増しはできても、資金と糧食の水増しは普通にできません。1ヶ月の給料20万で、おおよそ25~30万のテレビが買える! などとほざくようなもんです。

 8年も経過して証言している内容なので、信憑性ゼロといってもいいでしょう。

 したがって、かろうじて資料として採用できるのは、当時の状況を書いていると思われる「ダーディン」だけです。しかしそれさえ裏づけのできない記事です。安全区内は10万の認識だった。仮にやつの発言が正しくても15万にしかならない。そんぐらいです。また、ラーベの日記14日には、同日日本軍に送った請求書で裏づけが取れますが、17日はまったく裏づけがありません。19日にはさらに認識を改めています。


○安全区外、城外から、1ヵ月後に移住するという説は物理的に全部不可能

 さて、上記から陥落後すぐに移住したとしか思えません。
 実際、12月19日には増える難民を確認しています。その後に記載がないことからも、陥落から数日、少なくとも10日以内には移住していたということだと思います。

 それの根拠は、

「人口調査が14日時点では16万」と確定していた点

 にあります。

 なぜ、この資料が重要か。

 実は14日に「食料請求が25〜30万」と請求しています。

 疑問に思いませんか?
「調査したにもかかわらず推測値である」
 という点が一番の謎でしょう。

 これは「老女と子供」の数が抜けているからというものだそうです。

 つまり、登録した人数+老人子供という概算推計が25〜30という不確定数値の根拠なのです。

 さてここで数学的に、多数移住説が否定できるのを検証できます。

 ここでは登録者16万のほうを重視しましょう。

 これは人口調査=人口登録と見て良いでしょう。
 さて、現代のようにPCがなければ、紙で記録をつけていると思われます。
 16万を4人で1家族として4万世帯になります。1世帯あたり登録が5分かかるとして、4万世帯を帳簿に記入するのに、いったいどれくらいかかるか?
 を計算してみます。
 単純計算で20万分ですね。
 時間にすると3333時間。
 1日12時間勤務で277日強かかります。
 これは1人でやった場合で、10人で頑張ったならば27日です。

 いずれにしろ、調査にはんぱじゃない時間がかかることが、見てわかるでしょうか?

 5万増えた人間を数えるのだって、非常に時間がかかりますね。
 同計算、10人がかりでも8日はかかる数字になります。

 戦争をやっていて、わずか3日で陥落していますから、城内大混乱だったと思いますが。

 ここから分かることは、食料請求20万は、見込み概算20万であり、これは実数ではない。

 しかし、餓死者が出ていないことは、これだけで足りたことを意味します。

 そうして20万以上いても足りた理由は、「子供と老人で大人の分量の半分で済んだから」というごく真っ当な結論に到達するのです。

 サヨクは鬼の首を取ったように、「これで安全区外もいたんだ!」とわめきますが、20万の食糧で賄えたという現実があるわけです。

 それは相当無視しているアホです。なぜなら、笠原自体がそんな「必要最低限生きられる」ことすら検証していないインチキ仮説を取っていたからです。

 ただし、右派系の「中国人は耳ざといから5万人外から帰ってきた」も、物理上無理であることは言っておきます。


 ただ、その間にすでに人口調査が確定していたかどうか? については、疑問が残すところです。
 実際安全区には10万人という数字があります。
 ただし、それさえもやはり「推計」ではないかと思います。多分人口が占める面積と収容数の報告から概算を立てたのであったと見るべきだと思います。

 さてこうなると、安全区委員会は、安全区内だけではなく市民全体が20万だと見積もっていた証左でしょう。

 事実に、11月24日
 将来的には20万になるだろうと安全区委員会が予想しているのは、安全区内がそうなるわけではなく、「全市民」がそこまで減ることを予測していたからです。

 肯定派的な見方では「安全区内だけだ!」といっていますが、そうなると資料上おかしなことになります。

 もし、肯定派の言うとおりだとすると、安全区委員会は、戦争から守るために発足したにもかかわらず、安全区に来た人間だけを救うという計算になる。また安全区外に住んでいる人間の食料請求をしなくても、安全区外の人間は生き延びられる! という非人道的な考えを持っていたというわけです。

 一方で人道的対処をしておきながら、もう一方で餓死してもいい状態においやる。

 そういうオバカな主張をしているのに気づかないのが、肯定派連中なわけですね。


問題3:中国軍の存在を無視
南京事件の犠牲者とは民間人だけでない。特に「殺害」に限るなら、捕虜や敗残兵などに対する集団処刑が大きな割合を占めている。なので人口の観点から総虐殺数を推し量るためには、南京市民だけでなく南京防衛軍の数も考慮しなくてはならない。南京にいた中国兵の数は諸説あるが、最も多い説では15万人とされる。

中国兵を事件の犠牲者に含むことは、中国だけの主張ではなく、事件を論じるすべての研究者の共通見解である。にも関わらず「20万都市で〜」論を唱える者はその当たり前の事実さえ無視している。




中国軍の存在は、無視できるからです。
兵隊の数こそシビアです。

9万の兵力がいました。
うち4万は生還しています。
また2万が戦死です。
そうして行方不明が2万です。
そうして集団処刑した捕虜は1万人です。

つまりですね。13日以降で該当するのは1万しかいないんですな。これが。

まあ、行方不明の2万もそうだった! とか言い張るかもしれませんが、
一応公式資料上、行方不明は「戦死扱い」「逃亡扱い」になり、「捕虜扱い」にはなりません。

15万説は、戦争前以前の数字から引っ張ってきた、インチキ理論です。

南京防衛軍9万の数は、中国軍でさえ認めているところです。
したがって、15万説はデンパ説です。
そもそも15万もいたら、どんなに無能な指揮官でさえ20万の日本軍相手に1ヶ月はもちこたえるでしょうな。
実際、焦土作戦を取り、篭城策で敵の疲弊を待つという作戦でしたし。
城の壁は厚く、砲弾でさえ防げていました。
城攻めは昔も今も苦労するのです。敵の倍以上の戦力でなんとか陥落に持ち込めるとか。
特に攻城兵器をもっていくのは、常識ですから。サヨクは三国志とか読もうね。2千年前からやっていることなんだが。
現代みたいに誘導ミサイル、超爆撃機、輸送ヘリ、戦闘ヘリが無かった時代の話だから、歩兵が主体で、銃兵器をもっていても、基本は己の体ひとつで戦うところはマッタク変わらないわけです。
だから、軍民含めてなんていう論理の、30万分の1万を追加する無意味さが、分かるでしょう。

軍民含めてというのは、「数があわないだけの帳尻あわせのサヨクの稚拙な屁理屈」です。


問題4:あやふやな数字の悪用

そもそも、陥落前後の人口の足し引きで犠牲者数が求められるという考え方が大雑把すぎる。それらの数字には幅があり、数字の選び方によって10万単位で上下してしまう。
「南京市全域に民間人は50万人、中国兵は15万人いたから、陥落後の25万と比べて虐殺数は30万以上だ」という主張には誰も納得しないだろう。実態の掴めていない数字同士を安直に比較しても真相究明にはまったく無意味なのである。
事件の犠牲者数は、いい加減な数字の引き算で求められるものではない。それは数多くの資料を吟味し、照らし合わせながら慎重に推定していくべきものなのである。




あやふやなのは、インチキwikiの中の人

 そもそも、インチキ理論で犠牲者数が求められないとか、あほなことをヌケヌケといってのける考えがバカすぎるのです。

 犠牲者数を論じないとか先に嘆いている割には、当時の総人口数を論じ、そこから生存者数を引くのは当然で、また死体数から検証するのも当然であり、むしろそういった科学的、あるいは数学的側面で論じることもできないクサレインチキ理論でなんとかなるとでも思っているのが、肯定派のインチキ連中ですね。
 可能であることを立証するのは、数学的にも可能であることを証明しないといけないわけです。

 東京都は現在1200万人が住む数字ですが、仮に原爆落とされて犠牲者1億人突破した可能性アリとか、そういうレベルですね。
 またサヨク的理屈に沿えば、東京は、東京圏内も含む。神奈川、千葉、埼玉、栃木、群馬、山梨! もある。いや、通勤圏内2時間なら、愛知も可能だ! とかいうようなもん。
 「東京都1200万は、あやふやな数字の引用」
 とか言っているようなもんです。

 「ガリレオ」を見ることオススメしますね。

 数字の選び方も何も、肯定派の犠牲者多数説につきあって、地域も「南京行政区」とか、時間も「12月13日以前」とか、人口を何十万も水増しするのに、「食料ひとつすら証明できない」ようなアホ連中こそ、あやふやな数字とインチキ仮説を持ち合わせたクズ理論でしょう。

 特に頭の悪いのは次のこと

「南京市全域に民間人は50万人、中国兵は15万人いたから、陥落後の25万と比べて虐殺数は30万以上だ」という主張には誰も納得しないだろう。

 城内部に30万以上の死体が転がっているという、れっきとした資料があれば、誰しもが納得しますがね。
 それにこの主張には、残10万がどこにいったかも、書いていません(笑)。
(50+15−25−30=10)
 仮説でさえ、小学校の算数すらできない頭の弱い子が作ったとしか思えません。
 つまりですね。仮説を唱えた上で、さらにそれが可能であることを証明できなければおかしいのですよ。

 そんな初歩的な算数すら証明させることができないバカの戯言ですね。

 ちなみに城内部には死体は7000人未満でした。1万もいってません。それもわざわざ1ヶ月もかかって回収しています。従って6週間の間ですが、虐殺体が大量に増えた形跡はゼロです。
 さらに安全区外に1ヶ月も2ヶ月も多数生存していた証拠もありませんし、それが可能である食料をどこから得ているのか? という基本的なものもありません。
 しまうまはアホなことに、「日本軍が食料を奪っていったから、安全区外には人がいた!」とか、わけわからんこといっていますが、ありえません。
 廃墟になっている上で、食料を奪われているにも関わらず、生きていくことができるのだ! 
 あまりにも矛盾してる。
 したがいまして、無意味すぎる「30万以上の説」の理論をさも「ある」ように騙っているのは、詐欺とかインチキの類でしょうな。
 あやふやなのは、こういうインチキwikiの理論を提唱するほうじゃないでしょうかね?

 20万都市で納得できないカス連中が屁理屈こねて、オレの理論もおかしいのだから、お前の理論もおかしいはずとか、同意を求めるのはアホすぎるというものです。

 少なくとも、20万、16万、25万、22万の資料はあやふやではありません。

 食料請求で賄えた20万の資料。調査して出てきた数字の16万。
 1月推計の25万(ただしそれより少なくていい)。
 2月時点の22万。

 これらは、れっきとした人口推計資料であり、また食料請求資料です。生存たる証拠なのです。

 あやふやすぎるのは、安全区外多数説のやつらだけですね。
 
 ということです。

 餓死者が大量に出ない以上、安全区外存在説は死んでいます。

 他にいただろうという人間たちが、その理論から、死体も証明できなければ生存していたことすらも証明できないのであるということです。

 あやふやな数字とあやふやな頭の知識で、資料すらマトモに読めないのは、それ以上いたとかいう、アホ連中だけなのです。

 私はちなみに彼らの資料を使って、時系列、および資料がクロスしても、彼らの理屈の補強になりはしないということを証明しました。

 まさに、あやふやにみせかけた「50万以上説」「軍民合わせて説」のインチキ理論の構築そのものと言っても過言ではないでしょう。

 こんなインチキ理論に騙されるのは、算数もできない幼稚園児くらいにしてほしいものです。
 
| Ryogo Sirokaze | 23:27 | comments(0) | trackbacks(1) |
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